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2008年03月21日

絶対王政の時代

本当に深刻だったんですね。

これ以上、事が進まないよう頑張ってほしいと思います。

一般的に「絶対王政期」「絶対王政の時代」とは、西欧における市民革命以前の時代を指す。おおよそ16世紀から17世紀にかけて到来し、イングランドのテューダー朝、フランスのブルボン朝、スウェーデンのヴァーサ朝・プファルツ朝の時代などが挙げられる。とりわけ、ブルボン朝の時代がその典型例とされ、1615年から1789年まで、身分制議会である三部会が召集されなかった。これは諸侯の権力の低下と、国王の権力があらゆる権力に優先した事を示している。フランス王・ルイ14世が諌言する家臣に言った「朕は国家なり(L'État, c'est moi)」という言葉(「そんな事をなさっては国家と民のためになりません」に対して「民だけでいい」に続いて言ったとされる)は、この状況を端的に表現しているとされた。

ただし、実際には王権が絶対であったわけではない。王権の絶対性は、貴族・ギルドなど特権を有する諸団体(社団)が統治に協力することで成立していたが、彼らは常に従順な協力者ではなかった。例えば、イングランドではマグナ・カルタに基づく議会の課税承認権を盾として財政的な制約に悩まされ続け(ただし、議会側の抵抗も当初は保守的な封建主義的な見地からのものが主であった)、またフランスで免税特権の剥奪をルイ16世が図った際には、彼らは再び身分制議会である三部会を開催し、自らの特権擁護のために王に反発している。このことが、社団の解体をもたらすフランス革命へとつながったのは皮肉であった。

当初、この「絶対王政」を正当化するような、明文化された法があったわけでは無い。しかし、後に王権神授説や自然法思想に基づく社会契約論などが示され、絶対王政を肯定化する試みがなされた。とはいえ、自然法思想に基づく社会契約論からは、王権の絶対性に異を唱えるジョン・ロックといった思想家も現れ、市民革命を擁護する論理的基盤が作られることにもなる。

又、17世紀から18世紀にかけてエルベ川以東でも、絶対主義国家を樹立した西欧への対抗上から「絶対王政の時代」が始まり、当時西欧で流行していた啓蒙主義思想と結びついて、啓蒙専制君主が出現した。プロイセン国王フリードリヒ2世が言ったとされる「国王は国家第一の僕」という言葉は、人権思想や市民権思想が発達した啓蒙主義と結びついた啓蒙専制君主像を端的に示している。

「絶対王政」の時代において、国王は当時の身分制社会の枠組みに縛られながらも、諸侯の第一人者という立場から脱却して、各特権団体を従わせることに成功した。また、絶対王政を通じた中央集権国家の形成は、後に続く国民国家の形成に大きく寄与した。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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